0: 艦これ速報@名無しさん 2014年05月31日 18:00
大和ミュージアムに展示されている、
石坂浩二さんがアメリカから買い戻した長門の軍艦旗

https://twitter.com/akkyron/status/432388931930173440
大和ミュージアムに展示されている、
石坂浩二さんがアメリカから買い戻した長門の軍艦旗

https://twitter.com/akkyron/status/432388931930173440
現在広島県呉市の「大和ミュージアム」にて展示されている
戦艦長門の特大軍艦旗(おそらく使われていた中で一番大きいサイズ)
これは、2006年9月23日に司会、俳優としても有名な石坂浩二氏が
石坂氏が司会の一人を務める「開運!なんでも鑑定団」に出品された同品を
後に買い取って、博物館に寄贈されたものです
結構有名な話のようですが、管理人は最近知ったので改めて調べてみました
まず艦橋にダメージは負っていたものの、自力航行可能な唯一残った日本軍の戦艦「長門」は
終戦後すぐにアメリカ軍に接収されました
長門の軍艦旗が接収時に降ろされる様子

※写真の旗は大和ミュージアムにあるのとは違うサイズの物です
この後、アメリカ軍に没収された旗のうち3つは
長門の接収を指揮したT.J.フリン大佐(当時)に渡ります
その後
T.J.フリン氏はその後、親交の厚かったカール・ポーラス氏に長門の軍艦旗を譲り
これを息子のスティーブ・ポーラス氏がなんでも鑑定団に出品することに
エピソードや本人評価額など
http://archive.today/p8UAp
鑑定額の決め手の一つとなったデトロイト・フリー・プレスに載った写真は
ヴィンテージ写真などを電子化して販売している
HistoricImages
で確認することが出来ます
※サイトでは1986年となっていますが
写真の裏に1946年1月23日とスタンプが押してあります
この放送の後、石坂浩二氏はこの長門の軍艦旗を
スティーブ・ポーラス氏から評価額の1000万で買取り
2006年9月23日に大和ミュージアムに寄贈
寄贈時の写真など
http://www.kure-news.com/news/000114.html
石坂浩二氏はモデラーとしても広く知られている人物で
現在は「老眼世代」の人とプラモデルの楽しさを再認識したい
として「ろうがんず」というプラモデルクラブを結成(現在会員20名、最高齢メンバー83歳が二名)
石坂氏自身はプロペラ機(レシプロ)を主に愛好しているのか
静岡ホビーショー等で展示された作品には航空機を題材にした物が多いです
プラモデルという趣味を通して大和ミュージアムの館長である
戸高一成氏とも大和ミュージアムが出来る以前から知り合いで
大和ミュージアムに対する思いも強く
そうした繋がりもあって、軍艦旗の購入と寄贈を決めたということです
石坂浩二 -Wikipedia-
また、後のインタビューで石坂氏は購入に至る経緯についてこう語っています
石坂:もちろん、みなさんとのつながりがあったからこそです。
戦艦「長門」の軍艦旗は、購入する以前からインターネット上で、
“日本の方に売りたい”とオークション的に出されていましたが、
最低価格がとても高かったので誰も手にすることはなかったんです。
それから後に僕が出演する番組「開運!なんでも鑑定団」に登場するのですが、
鑑定結果が1000万円と出たんです。
それは以前提示されていた金額よりあまりに低いのにもかかわらず、
ご本人が納得されている様子だったので事情を聞いてみると、
移植の順番待ちをされていて、ドナーが見つかったところなので、
その手術費用にあてたいと、鑑定通りの値段でOKということでした。
それなら・・・と、これは番組中にも言ったのですが
「私が買って呉に寄付した方がいいね」ということになりました。
引用元:大和ミュージアム -今、あの人に会いたい- 第3回
スティーブ・ポーラス氏の足取りはわからなかったので
どのような病気でどんな臓器の移植リストに登録されていたのかはわかりませんが
移植手術が無事成功していれば幸いですね
フリン大佐からすれば、旗が知り合いの息子の窮地を救うことになるとは思わなかったでしょう
かつて世界有数と謂われた戦艦
その象徴ともいえる軍艦旗を通して一般市民が助かったとすれば
それは作られ冥利に尽きるというものではないでしょうか
関東大震災のときに被災者のために救援物資を運び
公表されていた以上の速度で航行した
戦艦「長門」らしいエピソードとも言えるかもしれません
わかっている方も多いとは思いますが管理人はにわかなので
今まで知りませんでした
今年の静岡ホビーショーにも石坂氏来てたんですね
もっとよく見ておくべきでした・・・
戦艦長門の特大軍艦旗(おそらく使われていた中で一番大きいサイズ)
これは、2006年9月23日に司会、俳優としても有名な石坂浩二氏が
石坂氏が司会の一人を務める「開運!なんでも鑑定団」に出品された同品を
後に買い取って、博物館に寄贈されたものです
結構有名な話のようですが、管理人は最近知ったので改めて調べてみました
まず艦橋にダメージは負っていたものの、自力航行可能な唯一残った日本軍の戦艦「長門」は
終戦後すぐにアメリカ軍に接収されました
長門の軍艦旗が接収時に降ろされる様子

※写真の旗は大和ミュージアムにあるのとは違うサイズの物です
この後、アメリカ軍に没収された旗のうち3つは
長門の接収を指揮したT.J.フリン大佐(当時)に渡ります
その後
T.J.フリン氏はその後、親交の厚かったカール・ポーラス氏に長門の軍艦旗を譲り
これを息子のスティーブ・ポーラス氏がなんでも鑑定団に出品することに
エピソードや本人評価額など
http://archive.today/p8UAp
鑑定額の決め手の一つとなったデトロイト・フリー・プレスに載った写真は
ヴィンテージ写真などを電子化して販売している
HistoricImages
で確認することが出来ます
※サイトでは1986年となっていますが
写真の裏に1946年1月23日とスタンプが押してあります
この放送の後、石坂浩二氏はこの長門の軍艦旗を
スティーブ・ポーラス氏から評価額の1000万で買取り
2006年9月23日に大和ミュージアムに寄贈
寄贈時の写真など
http://www.kure-news.com/news/000114.html
石坂浩二氏はモデラーとしても広く知られている人物で
現在は「老眼世代」の人とプラモデルの楽しさを再認識したい
として「ろうがんず」というプラモデルクラブを結成(現在会員20名、最高齢メンバー83歳が二名)
石坂氏自身はプロペラ機(レシプロ)を主に愛好しているのか
静岡ホビーショー等で展示された作品には航空機を題材にした物が多いです
プラモデルという趣味を通して大和ミュージアムの館長である
戸高一成氏とも大和ミュージアムが出来る以前から知り合いで
大和ミュージアムに対する思いも強く
そうした繋がりもあって、軍艦旗の購入と寄贈を決めたということです
石坂浩二 -Wikipedia-
また、後のインタビューで石坂氏は購入に至る経緯についてこう語っています
石坂:もちろん、みなさんとのつながりがあったからこそです。
戦艦「長門」の軍艦旗は、購入する以前からインターネット上で、
“日本の方に売りたい”とオークション的に出されていましたが、
最低価格がとても高かったので誰も手にすることはなかったんです。
それから後に僕が出演する番組「開運!なんでも鑑定団」に登場するのですが、
鑑定結果が1000万円と出たんです。
それは以前提示されていた金額よりあまりに低いのにもかかわらず、
ご本人が納得されている様子だったので事情を聞いてみると、
移植の順番待ちをされていて、ドナーが見つかったところなので、
その手術費用にあてたいと、鑑定通りの値段でOKということでした。
それなら・・・と、これは番組中にも言ったのですが
「私が買って呉に寄付した方がいいね」ということになりました。
引用元:大和ミュージアム -今、あの人に会いたい- 第3回
スティーブ・ポーラス氏の足取りはわからなかったので
どのような病気でどんな臓器の移植リストに登録されていたのかはわかりませんが
移植手術が無事成功していれば幸いですね
フリン大佐からすれば、旗が知り合いの息子の窮地を救うことになるとは思わなかったでしょう
かつて世界有数と謂われた戦艦
その象徴ともいえる軍艦旗を通して一般市民が助かったとすれば
それは作られ冥利に尽きるというものではないでしょうか
関東大震災のときに被災者のために救援物資を運び
公表されていた以上の速度で航行した
戦艦「長門」らしいエピソードとも言えるかもしれません
今日も艦これで勉強の時間です。長門描いたよー! pic.twitter.com/pPLL7X69Xa
— 坂崎ふれでぃ■新単行本発売中 (@lunaticmonster) 2014, 5月 22
わかっている方も多いとは思いますが管理人はにわかなので
今まで知りませんでした
今年の静岡ホビーショーにも石坂氏来てたんですね
もっとよく見ておくべきでした・・・